封 印 (1997)
独奏コントラバスを含むオーケストラのための
本来、在るべき所に在るべき音を、正確に置き続けることが作曲だと思っている。
つまり作曲とは、作曲者自身の好みを超えた「何か」なのだ。結論から言うと、私は音楽を「情緒的な力学」だと固く信じている。
一枚の枯葉が北風に舞い、落ちる。そのことをも、しっかりとした自然の法則が支配している。その法則の根を洗い、それを自在に操るように、音を並べることができたらどんなに素晴らしいことだろうと、いつも夢想している。作曲とは音が元々具えている法則に作者が負け続ける行為だと信じている。
よく使われる「自然な表現である」という言葉を、私の少ない智恵を振り絞って解くならば、そういうことになるだろう。
私はほぼ、毎年といっていいほど、新暦の8月15日に長崎を訪れている。有名な「精霊流し」という宗教行事の日だ。段ボール箱一杯に詰った爆竹が「家庭用に」という名目で売られている。
夏の盛りの頃と較べるといささか柔らかい光に包まれた太陽が、わずかに西に傾きかけた頃より、街のそこかしこで爆竹が鳴り始め、空が透明な群青に染まる刻には爆竹が、精巧に織り込まれた絨毯のように、わずかな隙間もなく、重層的に鳴り響き続ける状態になる。
これは静寂なのだ! 常に何の音も突出することなく無数の粒子のように音が釣り合ってそこに在る。在り続ける。
これは静寂なのだ!!「ボトムが迫り上がった静寂」とでも言おうか。この力強い、力に満ち溢れたうねるような静寂。私は、これを音にしたいのだ。
そして、その激しい静寂の上に、あらゆる美しいものを並べたいと、そう願っているのだ。
初めて精霊流しに触れ、その恍惚を体験してから二十年程も経ったろうか、ようやく理想の一端を音にできたのではないかと、かすかな手応えを感じた作品。この「封印」という曲を聴いていただければと思う。
初演時のプログラムノートより(1997.8.22)