三つの子守唄(2005) 

 東京は下町の某出版社、目を凝らさなければ見落としてしまいそうな小さな建物、それはまるで出版社というよりも、落語の舞台になりそうな長屋のようだった。

 

 

その建物の奥にいつも社長のTさんは、横丁のご隠居か或いは小言の幸兵衛さんかという風情で座っていた。Tさんとの出会いは古い。昔私がまだどこかの同人会に所属して細々と作品を書いていた頃、その演奏会を覗いてくれたTさんに声を掛けられたのが付き合いの始りだった。
 

 

その頃の私は、よく自分でも意味の分からない小難しい作品をひたすら書いていた。そんな私にTさんは、「あんたの書くものはそんなものじゃない。もっと調性のはっきりした曲を書くべきだ」と何度もアドバイスをくれた。子供の為の小品集を書かないか。もし良ければ自分が出版しようとも言ってくれた。

 

 

要するにお前は頭が悪いのだから、賢ぶった曲など書かず、もう少し商売になりそうな仕事をせよ、という訳だ。なるほど言われてみればその通りなのだが、当事の私は多くの若者と同じく、年寄りの言葉に耳を傾ける事などしなかった。

 

 

随分と後になって知り合いが次々に子供を作り始め、知人の家に遊びに行くたびにその家のガキどもからジャングルジムのように纏わりつかれ、体によじ登られるようになって、どんどん子供の世界に興味を持つようになっていった。
 

 

私の一番弟子である松石佳奈さんの出産を機に、熟した果実が落ちるように次々と子供の為の小品を書き出した。実際に取り組んでみるとそれは恐ろしく楽しい作業で、私は毎日玩具を作るような気軽さで作曲に没頭した。調性はひたすら私の心を開放してくれるのだった。あっという間に数十曲が出来上がった。

 

 

私は折々にT社長を訪ねその譜面を手渡し出版を迫った。だがこの出版不況の折、それはまだ実現していない。社長は最初にくれた契約料のほか、時折契約更新料を振り込んでくれる。私は悪びれる事も無く、その金を親戚から小遣いをせびり取る放蕩息子のように有り難く頂戴し続けている。
 

夕方、薄暗い部屋で~うたたねから覚めて

揺れて、揺れて

頬を撫ぜる風、まぶたをくすぐる光

※楽譜はこちら→Banana! Estragada!!

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