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 レクイエムー愛憐第2番(1998)

 

 宜保弘一君が逝って、もう一年と三ヶ月にもなろうとしている。彼との別れはあまりに唐突で、それは会いたい時には何時でも会えると、たかを括って遠ざかっていた僕らを一層強く打ちのめした。

 

彼の死には僕にとって、全く折り合いのつかないものとして、今も深くここに在る。この一年あまり、死とは何かを、今までここにいた者が突然、向こう側の世界に行ってしまうとは一体どういう事なのかを考え続けた。
 

実際、あらゆる芸術も学問もその前では無力と思えるほどに冷徹な事実である死に対して一体何ができようか。夜半、悲しい夢に目を覚まし、目の前の闇を、彼と自分の間に横たわる無限に深い闇と見まがい、怪我した犬のように泣き声をあげる。自分にできる事といえばせいぜいそれぐらいだ。

 

そうして、どうしようもないこの苦痛をなだめすかしながら、耐え難い思いを五線に刻みやがて一つの曲をでっちあげた。 

これは、僕自身の勝手な思い込みではなかったと信じたいのだが、彼は常に心からの深い愛情をもって僕の仕事に、そして人間に接してくれていたと思う。とても控えでありながら確固とした情熱を持って。

 

つまり、僕は今、心からの共鳴を持って自分自身を理解してくれる唯一の人を喪なったのだ。僕は今、自分の多くを削り取られてしまったと実感している。
 

一体、死者に対して曲を書くと言うことはどういう事なのか。それは彼の印象を、思い出を書きとどめる事なのか。しかし、僕には、彼に伝えたい事が、問うてみたい事が沢山あるのだ。
 
その伝えたい事を記し、また答えが返ってくるはずもない問いを記す。彼に向かって。その彼とは、僕らの心の中に居る彼か、或いはこの世界ではない向こうの世界ー異界に佇んでいる彼か。音楽は異界より現れ異界へと消えてゆくものだと、折につけ僕はそう書いてきた。音は異界への、そして異界からの遠い音信なのだと。誰か、僕に、彼は今異界に居るのだと、そう言ってくれないか。そう信じさせてくれないか。もし彼が異界へと、独り寂しく旅立ったのなら、彼に伝えたかった事を、彼が愛してやまなかった美しく雄大な自然をこの音楽に託したいのだ。
 
足許に手紙を括りつけた鳩を、遠い異国の空へと放つような、たよりなさ、切実さを持って、今、この曲を、このステージから異界へと放ちたいとそう思う。

                           研鑽楽団演奏会 プログラムノートより 1998. 5. 5

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