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  連作「水の流浪」

​   アルトサキソフォーンとピアノの為の

 ずっと以前に見た一枚の写真が忘れられない。その不思議な色を湛えた写真はジャカルタの海を写したものだった。敬愛する詩人、金子光晴翁は、「マレー蘭印紀行」の中で、その海の事を「うつくしいなどという言葉では伝足りない。悲しいといえばよいのだろうか。あんまりきよらかすぎるので、非人情の世界にみえる」と記している。この連作集「水の流浪」は、その海の色にすっかり心を奪われてしまった私が書いた、金子光晴翁への稚拙な賛辞だ。

 

 大陸の空をそのまま映したような唐津の青い海。その海に浮かぶ高島という島。今は多くの観光客が訪れる島となったが、かつてはわずかな釣り人を除き、その島に渡る者などいなかった。若かった私は島民に混じり、連絡船に揺られ、その島へしばしば渡った。一回りするのに一時間もかからない小さな島だ。私はその島で、ぼんやりと海を眺めながらひたすらこの曲の楽想を練った。

 

 島を一回りするのにたびたび立ち止まらなければならなかった。その方角によって海が驚くほど変化するからだ。さっきの海と、今の海は違う。私はその島で千の海を見なければならなかった。少し前までは懈怠にまどろんでいた海が、今は私に向かって威嚇するように牙を剥きだしている。がくがくと足が震えた。ああ、ここには書かなくていいようなものなど一つも存在しないのだ。

 

 金子光晴の詩集から借りた「水の流浪」というタイトルの曲を、私は自身のコンサートでたびたび使った。ほとんどメモにしか見えないような粗雑な譜面を、即興で肉付けするという方法でこれらの作品を作っていった。さまざまな理由からコンサートを開く事が出来なくなった今、それらの曲をきちんと譜面に書き起こそうと思ったが、実際に五線紙に向かうと、音を書き取るという行為がたちまち甲斐の無い事に思えるのだった。書く音楽と、奏でる音楽の間に引き裂かれた私は絶望的な気分で、書き上げたばかりのほとんどの譜面を破棄し、まったく新たな作品としてこれらの連作に取り掛かった。ようやく書くという行為に折り合いがついた頃、私は犬か仔を産むように、ぽろりぽろりとこれらの連作を書き上げていった。

 

 本来なら、一瞬その空気を震わせた後、跡形もなく消えてなくなるはずの音楽を、それが良い事か、禍々しい事か、今の自分には言えないが、譜面として残すきっかけを作って下さったこの譜面の版元、谷憲司さんに深謝する。

 

                   2012年6月21日

   福岡市の寓居にて、深く垂れさがるような梅雨空

   を見上げつつ

                     太田哲也

 

                 初版あとがきより

第一章 午睡の海

第二章 間奏曲

第三章 水紋

第四章 光、風、その流れのすべてを

※楽譜はこちら→Banana! Estragada!!

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